the world as code

世界を構成するのはテクストである、という考え方が好きだ。より正確な言い方をするならば記号論やミーム的な考え方になるのだと思うが、記述されたもの、意味を成して認識されたものだけが実在足りうる、というような世界観をなんとなく抱いている。『ニルヤの島』では個人の生が物語へと還元され、データとして外部記憶装置へ保存されるようになった。『from the nothing, with love』では、ジェームズが自らを「生起しつつあるテクスト」であると述懐する。あるいはヘプタポッドの言語は、未来をも決定論的に「記述」する。

特にことインターネットの隆盛により、世界はテクストの、ミームの満ちるものへと変容しつつあるように思う。インターネット上に存在する「個人」とは、すなわちミームに他ならない。インターネットへのアクセスをしていても、能動的にテクストを紡がない個人は存在しないに等しい。この世界では個人は、あるいはあらゆる事象はデータへと還元され、そして半永久的にミームの海を彷徨っていく。

上述したように、最近頓に多い「言葉」に関するSFのなかで、最も好きなのは『屍者の帝国』なのだけど、ここでは人間の魂自体が「言葉」によるものと解されており、そして屍者は「言葉」によってフランケンシュタインと化す。言葉は物質化する。書物がそうであるように。歴史上の人物がそうであるように。これが自らもまた「物質化した言葉」であるはずのヴァン・ヘルシングの言葉であるというのは皮肉でもあるのだと思うが、生きとし生けるものが言葉によりもたらされるというハッキリとした記述と、それに基づいて構成された世界観は実に興味深い。

Infrastructure as Code、物理的な世界の技術であったはずのITインフラが、近年言語により記述され、管理、構築されるフェーズへと転換したように。Internet of Things、家電や家具といった非電子的であったはずの「モノ」たちが、APIを提供して「言語」による働きかけを許すようになったように。我々エンジニアの一つの使命は、万物の情報化であると思う。言語が支配する世界にすべてを置き換え、言語を介した制御を可能とすること。それがエンジニアとしてやるべきことなのだと。

私はなぜ書くのか?という問いに対する答えはあまりに簡単で、それは生きるに等しい行為だからだ。語らぬ者は存在しないのならば、語る以外に選択肢はない。世界と関わりたいのならば、言語によって働きかけていくしかない。紡いだ言葉がミームの海を流れていき、対岸でやがて物語として物質化する日を夢見る。言葉が世界を構成し、言葉が万物を紡ぎ上げて、やがて物語と化していく。

the world as code.

世界は言葉で成り立っている。

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